SEIWA | Leather Craft :: Fabric Dyeing Forum | 染色・レザークラフトフォーラム | 梶野恭男|Yasuokajino

「丈夫で優しい質感」
 鹿革に出会って
 受けた衝撃

Profile
かじの・やすお。1980年東京都八王子市出身。カジノ・レザーワークスで制作を担当。
鹿革にこだわったオリジナルバッグ、小物の制作/販売のほか、鹿革を使った手縫い教室も開催する。
2003年頃、革と出会う。
SEIWA渋谷店スタッフとして従事する中、鹿革に魅了される。また彫金への深い造詣を活かし、ブライダルジュエリー制作会社で職人経験を積む。その後再び革に転向し、世界的に有名なブランド専属のリペア工房で腕を磨く。
2011年11月「カジノ・レザーワークス」を立ち上げて独立、現在に至る。


岡田(SEIWA企画部、以下略)
――まずは自己紹介も兼ねて梶野さんの現在について、お教えください。


梶野恭男 氏(以下敬称略)

 鹿革にこだわったお店として八王子を拠点に、手縫いカバン、小物の販売と鹿革をメインに使った手縫い教室を開催しています。このお店を通じ、鹿革をもっと広めたいと考えています。

 製品はすべて手縫いで、最小限の金具で仕上げており、シンプルで長く使えるということを念頭に置いて制作しています。

 もともと当店をオープンする前にカバン修理の仕事をしていました。そこでの経験から、カバンがどこから壊れていくか、ということが大体わかってきました。その経験を生かし、一生使えるモノを提供していきたいと考えています。

 他に、デパートのイベントへの出店や革関連のクラフトフェアなどの野外イベントに出店しています。製品は僕がベースをすべて1点ずつつくり、他2名のアシスタントとともに制作しています。


――鹿革にこだわったお店とのことですが、その理由は?

 まず何と言っても牛革と違い、柔らかく手触りがいい。鹿革は革の中で最も質がいいと言われています。牛革はすでに素晴らしい作品や製品がたくさんあります。その中に自分があえて入っていくより、鹿革を使うことで差別化を図っています。


――教室も鹿革だけを使っているのですか?

 教室は毎週火曜に開催しており、希望者がいれば水曜にも開催しています。1回に4,5人の受講が可能で、半日から1日かけて行なっています。今は20名前後の方が受講されています。

 基本講座を受けていただいたあと、受講者さんそれぞれつくりたいものをつくっていただくという流れです。受講者さんも、鹿革が好きという人が集まっています。


――梶野さんが鹿革にこだわりを持つに至った経緯をお教えください。まず革と出会ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

 革を自分で裁断したり、縫ったりし始めたのは、2003年頃のことです。それまでは毛皮や革製品の卸を事業とするアパレル会社で営業職に就いていました。

 もともとものづくりが好きだったので、自分自身の手で身に付けるものをつくり出したいと思っていました。まず、思いついたのは服飾でした。しかし単純に服飾は今からでは太刀打ちできないと感じました。

 そこで次にアクセサリー関連に目をつけ、ヒコ・みづのジュエリーカレッジという専門学校に1年間通いました。当時の動機は「結婚する相手に結婚指輪を自分でつくったらかっこいいじゃん」というものです(笑)。そこでアクセサリー制作の基本的な技法を学びました。週3日間だったので、いわゆる“学校”という感じではなかったのですが、そこでシルバーと革を組み合わせた商品、たとえば財布にSV925のコンチョというような組み合わせを自分でつくれないかと考えていました。


――アクセサリー制作もやられていたのですね。

 学校に通うのと同時期に東急ハンズ渋谷店の皮革用品コーナー、つまり御社が販売スタッフを募集していたのを目にして即座に応募しました。革についてはSEIWAで学ぼうと思ったんです。

 これでジュエリー関連と革関連を「両方学べんじゃん、コレいいじゃん!」と思いましたね(笑)。アクセサリー関連では、バーナーワークなど彫金の基本を学び、東京の御徒町【注:おかちまち、宝飾街として有名】はよく行きました。

 SEIWAでは接客や販売ももちろん行うのですが、店頭展示用のサンプル作成もスタッフが行なっていました。僕はサンプルをつくってばかりいましたね。サンプルをつくりながらお給料もいただけるなんて、ラッキーと言う感じです。

 鹿革に出会ったのはこの頃です。革をはじめた頃は、僕も牛革ばかり触っていたのですが、ふとしたときに鹿革に出会いました。柔らかいのにすごく丈夫で質感も優しい。「なにこの革? そもそも革なのか?」と衝撃を受けました。そうしてSEIWAでサンプルをつくっていくうちに、鹿革を好きになっていきました。


――アクセサリーと革の両輪で来ましたが、次第に革のほうに傾倒していったのですか? 

 アクセサリーの学校は、1年で終わってしまったので、SEIWAで革ばかり触っていました。しかし、せっかく覚えて身につけた彫金技術だから、これを活かしたいと職探しをしました。ところが学校を出た程度では制作の現場に入れるところは見つかりませんでした。

 1年ほど探し続けたところ、ようやくアクセサリー制作に携われる職を見つけました。そして応募し、実技テストを受けました。結果は「今の技術じゃ給料は出せないけど、無給ならいいよ」と。つまり丁稚奉公としてならOKと言われたんです。

 どうしようか本当に迷いましたが、やりたいことだったので行きましたよ。工房に入ってから半年間は無給でしたね。ブライダル専門だったので、お客さんは結婚予定の男女が来て、デザインの打ち合わせをしてサンプルをつくるということが主でした。そこには4年間くらい在籍しました。


――振り返るとアクセサリー制作にも強いこだわりをお持ちだったんですね。 

 当時は欲張りというか、両方やりたい、という気持ちが強くありました。シルバーアクセサリーと革は親和性も高く、組み合わせやすいので、そこから出てきた気持ちだったのだろうと思います。

 無給で入ったアクセサリー制作の仕事ですが、食べていくためのお金が必要だったので、SEIWAでのアルバイトを続けてつないでいました。そして半年経った頃、ようやく社長から社員登用の話をいただき、SEIWAを辞めてアクセサリー制作の社員として従事しました。革からいったんアクセサリーの方に仕事として完全に移ったわけです。

 革は辞めたのではなく、趣味レベルで続けていたんですよ。友人からちょっと頼まれてつくるといった程度です。あとはセレクトショップに、個人として小物を卸していました。やっぱり、革もせっかく覚えて身につけたのに、辞めてしまうのはもったいないという気持ちで続けていました。やっぱり欲張りでしたね。


――革からだんだん離れていくような感じがしますが、ご自宅では続けられたと。 

 その後地金相場の高騰などで会社経営が悪化し、他の会社に吸収されることになりました。事業変更が行われ、新会社で「営業をやって」と言われましたが、「今さら営業はないな」と思い、退社しました。

 その後も手を動かせる制作の仕事を色々探しまわったのですが、結果として「アクセサリーはもういいや」という気持ちになりました。在職中に結婚したこともあり、当初アクセサリーに興味を持ったきっかけとして「結婚指輪を自分でつくりたい」という目標は、すでに達成していたんです。

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好評の鹿革をつかった教室の様子

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