SEIWA | Leather Craft :: Fabric Dyeing Forum | 染色・レザークラフトフォーラム | 岡田明子|AkikoOkada

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数々の賞を受賞した作品が掲載された「岡田明子 作品集-革-カウボーイの世界」。

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「岡田明子 作品集-革-カウボーイの世界」から。

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'12年ワールド・レザー・デビューのスタンド・アローン賞で1位を獲得した「Pentagon Ball(ペンタゴン・ボール)」。

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'10年の作品。「カウボーイハット」の制作風景がシェリダンの地元紙「THE SHERIDAN PRESS」の一面を飾った。

アル・スツールマン
アワードを受賞した
日本を代表する
カービング作家。

Profile
おかだ・あきこ(シェリダンスタイル カービング作家)
奈良県出身。神奈川県相模原市在住。日本革工芸会理事、LSLC会員。革工芸「AKKOS」代表。クラフト学園卒業。一級講師免許取得。
卓越したカービング技術に加え、明るくオープンな人柄から数多くの有名カーバーやサドルメーカーと交友関係を持つ。
日本を代表するカービング作家の一人。


藤田(SEIWA企画部、以下略)
――はじめに岡田さんの現況をお尋ねします。


岡田明子 氏(以下敬称略)

 自身で開催している教室をはじめとして、アメリカ・オーストラリア・台湾でカービングの指導の機会を少しづつ増やしながら、レザークラフトの普及につとめています。

 日々の制作においては、アメリカで開催されるワールド・レザー・デビューへの出品制作に励み、ここ最近(取材時は13年10月)では、日本革工芸会理事として第32回日本革工芸展の準備に勤しんでいます。


――岡田さんの活動の場は日本にとどまらず海外にまで及んでいますが、海外でのワークショップはどのようなきっかけからスタートしたのですか?

 台湾でワークショップを開催するにいたった経緯は、台湾を拠点に活動するレザークラフターが'12年にアメリカ・ワイオミング州のシェリダンで開催されたロッキーマウンテン・レザー・トレードショーに来ていたことが契機でした。わたしの作品と活動に興味をもっていただいたようで、帰国後にお声を掛けていただきました。

 オーストラリアやアメリカでのワークショップも同様でしたが、人との出会いがわたしの活動の場を広げてくれました。


――カービングの本場アメリカのギルド(革工芸協会)に所属していると聞きましたが?

 '95年からアメリカ・テキサス州のロンスター・レザー・ギルドに所属しています。ロンスター・レザー・ギルドにはテキサス州のフォートワース近辺のカーバーが多く所属しています。ギルドでは所属メンバーの技術を共有しあうミーティングが月1回開催されています。メンバーはみんなオープンマインドなので、技術の開示も厭わないですね。もうみんな家族みたいに仲がよくて、アットホームな環境です。

 また、ギルドとしてフェデレーションなどに参加しています。たとえば、インターナショナル・レザー ・フェデレーション・ショーには、メンバー全員がひとつのコンセプトのもとに制作した作品をエントリーしたりしています。

 フェデレーションにエントリーするためにはどこかのギルドに所属していることが条件なので、フェデレーションへのエントリーを目的とするレザークラフターはどこかのギルドに所属していなければいけません。

 わたしは毎月アメリカに行くことは出来ないので、ギルドの集会にあまり参加が出来ず残念に思っているのですが、フェデレーションの帰りにフォートワース近辺に立寄った際に、わざわざわたしのためだけにミーティングを開催してくれた時はとても嬉しかったです。


――話が変わりますが、ここで岡田さんの過去について、お話をお聞かせください。学生の頃から今の活動に発展するようなことをされていたのでしょうか?

 学生のころは演劇部とコーラス部に所属し、いわゆるレザークラフトや手芸など、今の活動に繋がるような活動や勉強はまったくしていませんでした。

 ただ、幼い頃から絵を描くのは好きでしたね。小学3年生の頃から父がわたしの描く絵を見て「明子は芸術家になる」とよく言っていました。今でもレザークラフトをしているとこの言葉を思い出す時がありますが、わたしの力になっています。


――岡田さんらしい心温まるエピソードですね。では、レザークラフトとはいつ出会ったのでしょうか?

 結婚して子供が生まれた30歳頃ですね。レザークラフトをしていた隣人に誘われ、ご自宅に制作の機会を見に行ったのが出会いでした。それから、興味本位ではじめてみたところ「自分でも出来るんだ」って楽しくなって。

 本格的にやりたいって思っていた頃にクラフト社さんのカービング通信講座がはじまったのを知って早速受講することにしました。


――それからカービングを本格的にはじめられたのですね。一番最初につくったものはなんですか?

 はじめてつくったのはメガネケースでした。完成の達成感は今でも忘れられないですね。とっても感動したことを今でもはっきり覚えています! 自分の手でこんなによいモノがつくれるんだ〜って!


――カービングの醍醐味のひとつに制作後の達成感がありますよね。ところで、はじめた頃に苦労した事、失敗談などのエピソードがあればお聞かせください。

 はじめてからしばらくして、動物の革を素材として扱うことに、少し抵抗を感じるようになりました。深刻に悩んでいた時期もありました。


――その悩みは今もあるのですか?

 '94年にテキサス州にある、アル・スツールマン・ミュージアムで彼の数々の作品をはじめて見たときから、わたしが抱いていた悩みは徐々に解消されていきました。どの作品も高い表現力で美しく仕上げられ、何よりも彼の作品からは革を素材として大切に扱う意識が伝わってきたのです。

 わたしもアル・スツールマン(注1)のように「革を素材として大切に扱おう」と決心したんです。それからは、動物に感謝し作品を美しく仕上げられるように制作に取り組んできました。


――本場アメリカで本物の作品に触れて創作の情熱が高まったのですね。他にもアメリカでの印象的な体験はありますか?

 '02年と'04年の2回にわたり、アン・スツールマン(注2)とラナ・スミス(注3)と一緒にカナダからシェリダンまで車の旅をしたことですね。この旅行はアン・スツールマンがアル・スツールマン・アワードのプレゼンテーションをすることが目的でしたが、わたしのレザークラフト人生を決定づける機会となりました。

 '02年の旅行中ではアン・スツールマンが長旅で体調を崩してしまいました。帰路途上のカルガリーの病院に救急車で運ばれ入院し、わたしはラナ・スミスと2人で一週間看病をしました。このことはわたしたちの友情をより強める機会となりました。

 '04年再びシェリダンに旅したアン・スツールマンの体調はとても悪く、終始酸素マスクをしていたので話す事も出来ないほどでした。今振り返ってみると、彼女の最後の想いのこもった旅だったのですね。最後の力を振り絞ってまでもアル・スツールマンとの想い出の道を歩きたかったのだと思います。カナダからシェリダンへ向かうルートは二人がアメリカからカナダへ移住をした時に通った想い出深い場所だったのです。アン・スツールマンはわたしが帰国した10日後に亡くなりました。

 その後、カナダの湖で行われた彼女の散骨に立ち合った際に「わたしはもっと頑張って革に携わろう」と心に誓ったのです。レザークラフトに情熱を注いで取り組むことで彼女の心とつながっていたいと思ったからです。

 彼女は夜、わたしが床に着く際にいつも「Love you」と声を掛けてはぐしてくれました。その声はいつもわたしを励まし、くじけそうな時に奮い立たせてくれます。


――その時期からレザークラフトにいっそうの情熱を注がれていったのですね。

 そうですね。それと、ドン・キングの存在もわたしの情熱の源になっています。

 '07年にクリント・フェイに師事してフルサイズサドルを制作したのですが、制作にチャレンジする旨をクリント・フェイとジム・ジャクソンと共にドン・キングに伝えに自宅に伺いました。そこで、彼がわたしのチャレンジに「感動した」と言って、激励に刻印を制作してプレゼントしてくれたのです。これには本当に感動して喜びました。わたしが完成させたサドルは彼にも見ていただきました。それから帰国した後にジム・ジャクソンから、ドン・キングの死を聞きました。

 この時わたしは再びレザークラフトと真摯に向き合うことを誓いました。その後、ジム・ジャクソンとクリント・フェイがアメリカでのわたしの活動を毎年サポートしてくださり、こういった事の全てがレザー・ワークへの原動力になっています。


――アン・スツールマンとドン・キングへの想いが情熱の糧になっているのですね。本場アメリカ・シェリダンの地にはじめて訪れたのはいつごろでしょうか?

 '96年にオクラホマのワークショプ・ツアーに参加した際に、カウボーイ・ホール・オブ・ヘイムでドン・キングやチェスター・ヘイプ(注6)のサドルを目の当たりにしてからは、シェリダンへの憧れが強くなり、一度は行ってみたいと思うようになりました。

 念願が叶ったのは'97年、足を踏み入れた時の感動は今でも覚えています。


――実際に行ってみた感想はどうでしたか?

 '97年のロッキーマウンテン・トレードショーではドン・キングとジム・ジャクソンの作品を目の当たりにし、興奮しました。 そして、ドン・キングの刻印を購入できた事は今となってはよい思い出です。

 また、'99年のギャザリング・オブ・マスターズは全米からカービングのマスターと言われる職人が集い、ワークショップが1週間ほど開催された、とても刺激的なイベントでした。

 このイベントを主催したのが友人であるラナ・スミス。
彼女とはこの機会にとても親しくなり、わたしと娘はそのまま彼女のロサンジェルスの自宅に数日ステイする事になりました。

 彼女との出会いはご主人のチャック・スミス(注8)と共に'94年に来日した時です。
それから何度かメールでのやりとりがあって、'96年のオクラホマのワークショップで再会し、より親交を深めました。


――現地で開催されたイベントを通してさまざまな方と親交を深めていったのですね。岡田さんのあたかかい人柄があってのことかもしれませんね。

 ジム・ジャクソンははじめて会った時から友好的でとても親切でした。ドン・キングを紹介してくれたのも彼でしたね。彼らはアメリカのカービング業界のレジェンドです。